伊那谷のほぼ中央、中川村の里山に、ぽつんと一本、大きな柿の木が立っています。
駒ヶ根市在住の動物写真家・宮崎学(みやざきまなぶ)さんは、2006年10月、この柿の木をテーマに写真集を出版しました。
写真集を手にした番組スタッフは、宮崎さんの好意で、その大きな柿の木に出会うことができました。
柿の木の高さは10メートル余り、根元のすぐ上から二股に分かれたその大木は、四季折々に表情を変えていきました。
柿の木の持ち主は、同じ中川村に住む東金(とうがね)家です。
1914年(大正3年)生まれの幸枝(さちえ)おばあさんが、94年前に生まれたとき、彼女のお父さんが親戚からもらってきて植えた苗が、この大きな柿の木に成長したのでした。
すでに老木となった柿の木は、実のつきかたもわずかですが、最盛期には山ほどの実がなり、決して豊かではなかった里山に甘い味覚をもたらしました。
ところで、この約半世紀の間、多くの人がほとんど気づかないうちに、伊那谷から柿の木の姿が少しずつ消えていきました。
それは、私達の国が敗戦から立ち直り、高度経済成長を遂げるのと時期を一にしていました。
里山の貴重な果実だった柿は、輸入品をはじめとする多くの果実が出回る中で、居場所を失っていったのでした。
そして、1980年代、私達の国は益々豊かになり、柿の木はゴルフクラブのヘッドの材料として注目され、次々に切られていきました。
その中で、東金家の柿の木は、切られることもなく生き残りました。
幸枝さんの孫で家を継いだ利夫さんが、柿の木の値段の安さに驚き、そのままにしておいたからでした。
利夫さんの判断で生き残った柿の木は、彼の二人の子供に都会では決して味わうことの出来ない思い出をもたらしました。
柿の木は、東金家の4世代と共に生きてきたのでした。
そして、昨年の暮れ、利夫さんに待望の初孫が誕生したのでした。
この半世紀、私達は豊かな生活を追って走り続けてきました。
しかし、今、私達は本当の豊かさとは何かを問われているような気がします。
番組は、柿の木と東金家の一年を追いながら、私達が忘れてしまった「大切なもの」を探してみたいと思います。
そして、次の時代を生き抜く心得を得たいと思うのです。 |
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